ttsoccer's blog

激安国内最大級オンラインサッカー用品専門店!

青山 敏弘(あおやま としひろ)来歴

岡山倉敷の連島地区育ち。小中学校の同級生にフィギュアスケートの高橋大輔がいる。小学1年生の時、地元クラブチーム川鉄SSでサッカーを始める。強豪クラブチーム・ハジャスFCの1期生であり、同期に吉村修平、一つ下に田中秀哉がいる。

2001年、作陽高校に入学。同級生に池松秀明がいる。サッカー部では野村雅之から指導を受けた。2年生の2002年からボランチでレギュラー、2003年にはチームの中心選手となり活躍。同年7月に特別指定選手としてサンフレッチェ広島に登録された。

2004年、サンフレッチェ広島に入団。同期に吉弘充志田村祐基。4月、ナビスコカップ第2節横浜F・マリノス戦において若手中心のメンバー編成となり、右ウイングバックとして公式戦デビュー、同試合でミドルシュートでプロ初ゴールを決めている。それ以降はなかなか出場機会が与えられずベンチ入りすらできなかった。2年目の2005年5月22日、サテライトリーグヴィッセル神戸戦にて左膝前十字靭帯を断裂、シーズンを棒に振った。

2006年6月、ミハイロ・ペトロヴィッチが監督に就任したことが転機となる。ペトロヴィッチは、青山を1ボランチに起用、自身初戦となるJ1第13節対名古屋戦において先発メンバーに抜擢、以降信用し起用し続けた。8月にはリーグ戦初ゴールを決めている[10]。

その活躍が認められ、2007年には北京オリンピックアジア予選メンバーに選ばれ最終予選対サウジアラビア戦ではMVP級の活躍をし同試合での予選突破に貢献するものの[11]、同試合で右第二趾中節骨中枢を剥離骨折してしまい、リーグ終盤および入れ替え戦を欠場、結果広島はJ2へ降格した。

2008年、森崎和幸との2ボランチが安定、広島のJ1昇格に貢献したが、北京オリンピック本大会には出場が叶わなかった。2009年も引き続き主力として活躍しリーグ4位躍進に貢献したが、11月に左膝内側半月板の縫合手術を行い、2010年序盤を欠場した。

2011年8月、サッカー日本代表候補として代表合宿に初招集された。

2012年、広島のJ1初優勝に貢献し、自身初のJリーグベストイレブンに選出された。

2013年7月、東アジアカップのメンバーとして日本代表に初選出された。7月21日の中国戦で代表初出場を果たした。